GREECE
1999.6.11〜1999.6.21

6/11 成田〜アテネ

6/12 アテネ〜デルフィ

6/13 デルフィ〜メテオラ

6/14 メテオラ〜テッサロニキ

6/15 テッサロニキ〜クレタ島

6/16〜6/17 ロードス島

6/18〜6/19 アテネ

6/20 アテネ〜成田


1999年6月11日〜1999年6月21日までギリシアに行ってきました。
この旅行は一応新婚旅行です(^^)
どうしてギリシアに行くことになったかというと、こんなに長く堂々と休めるのはそう滅多にないことだ!
ということになり、とにかく滅多に行かれないところ→あまり人が行きそうにないところ→遺跡だ!と単純な発想からそうなりました(笑)遺産とくれば、
「世界遺産」。エジプトだとかインカ帝国だとか考えましたが、新婚旅行へ行って悲惨な事件があった方のことが記憶に新しいのでそれはちょっとやめました。
世界史で必ず勉強する、ギリシャ文明!これに触れることにしました。
この旅行はツアーで参加することになりました。
ヨーロッパには強いと評判の阪神航空のツアーに参加。
ツアーパンフレットが出るとすぐに参加申込。ツアーが決行されるのには最低6人あつまらないとダメ・・・
5月に入ってもなかなか6人あつまらなくて、びくびくしておりました。
幸いにもツアー決行。結局ツアー参加者は20名になっておりました。


6月11日(金)成田〜チューリッヒ〜アテネ 10:00成田集合 12:00スイス航空SR-169便 チューリッヒでトランジット 17:25(スイス時間)SR-306便チューリッヒ〜アテネ HOTEL DIVANI PALACE ACROPOLIS 午前中に集合のため朝7時頃に自宅を出発することになりました。 が、駐車場から車を出せない!というハプニングが起きたのだ。そうとなりのシャコタンっていうの? 車体をやたら低くしたヤンキーな車が、うちの車に寄って停めてくれてるのだ。簡単に車がでない!。 こっちは成田に行くのに、なんでこんなに朝からイライラさせられるのよー!ってぶーぶー言いながら ちょっとづつ動かしたどうにかすう脱出。ったく、どうゆこと?って感じでした。 荷物積んで、たぁちゃんと出発。首都高は思ったより空いていて、快調に成田の車を預ける予定の駐車場まで。 駐車場は志賀さんに紹介してもらったところで11日間預けて、洗車もしてもらって8000円くらいだったかな。 とにかく成田エクスプレスで往復するより全然らく。駐車場からはそこの駐車場のお兄さんがArrivalターミナルまで荷物と一緒に 送ってくれます。なので荷物をもってウロウロすることもなく面倒なことが全くないのだ。 今回はスイスAirだったので第1ターミナルから。集合予定時間よりちょっと早めに到着したので、荷物を一時預かりに 預けて、朝食。やはり朝食は日本食だよーといいながら、鴨南蛮をいただく。しかし前日の夜は荷物のパッキングが 思ったより時間がかかったので、なんか胃に重い。 やっと集合時間。参加者は年配の方が大変多い。ほとんどがご夫婦。あと女の子の二人組と、親子の三人組。新婚は私たちだけ。 添乗員さんの高橋さん(♀)は私たちと同じくらいの年齢に見える。爪がすばらしく、blueでかっこいい〜
スイスエアー

定刻通りトランジットのチューリッヒに向けて出発。Swissairの機体で行くかとおもいきや、日航の機体で、それもちょっと小さめの
機体だったのでちょっとがっかり。しかしチューリッヒまで12時間だぞ。大丈夫なのか?と余計な心配をしてみる。
乗ってすぐに機内食。もちろんワインをオーダーする私(^^)しかーし、隣を見ると同じツアーの方々が
ほとんど赤白両方のワインを一人ずつ呑んでいる。ちょっと無料だからってがぶ飲みすると大変なことになるぞー
と心配したが、それはぜんぜん無用だった。
だいたいギリシャまで来ようっていう年配の方はみんないろいろと他に行かれてるのだ。そう、
普通のところは行き飽きてちょっと滅多に行かれそうにもないところに行くのだ。
なもんで私たちより旅慣れていたのです。がぶ飲みして、みんなぐーぐー寝てるが、私はなんだか寝られない。
ちょっと寝るとクビが痛くなるし。腰も痛いし。
そそ、この旅行でたぁちゃんが読んでなかったAERAを大量に持参していた。これが結構よかった。
暇な機内ではすごく退屈しのぎになる。
一度読んだ記事でも改めて読むと、なるほどねーと思ったりして。
小説も持参していたが、これがまた暗い小説で・・・
新婚旅行には不似合いなものだった。なもんで、大量のAERAを何冊も読破し、
チューリッヒに到着したときには、ゴミ箱へ何冊か捨てた。

チューリッヒではトランジットで3時間くらいあったので、ちょっと結婚式の2次会のビンゴの景品を物色することにした。
あまり目新しいものはなかったが、ま、安くてかわいい飴とか、調味料とかそんなものをGETした。
さすがに疲れていたので、搭乗口にサッサと行って座って待っていた。だんだんチューリッヒの空は赤くなってきた。
夕暮れ・・・ギリシャのアテネに到着するのは真夜中・・・眠い〜

ギリシャに向かう便の席に座った途端私もたぁちゃんも眠りこけてしまった。機内のドリンクサービスも忘れるくらい。
たぁちゃんは機内食も食べなかった。
とにかくぐーぐー寝て、あっという間にアテネに到着。もう夜中の12時。ひぇー。
すぐに到着ロビーで両替え。円をドラクマに。
ちなみに私たちは100dr.=50円くらいとして換算しておりました。

眠い目をこすってホテルまでのバスに乗り込む。
明後日ギリシャが総選挙になったため、国が管理する場所はすべて休業。おかげで、3日目のデルフィの予定が
繰り上がり2日目になった。
明日は早い!

ホテルはあまりランクがよくない。でもシャワーの水がでるからいいか。
あと数時間でこのホテルともお別れだし(笑)


6月12日(土)アテネ〜デルフィ 今朝は6時起床。今回の旅行の目玉の遺跡見学。 アテネ市内観光、考古学博物館 パルテノン神殿とデルフィの見学。デルフィは明日の予定だったが、明日はギリシャの選挙のため、 見学は不可になったので本日の予定になる。 ホテルのダイニングで朝食。ホテルの地下にも遺跡がある。さすがギリシャ。いざ、出発!
ホテルの遺跡

バスに乗り込みギリシャ朝のラッシュを目の当りにする。ギリシャは車社会。そのため交通渋滞と空気汚染がかなり深刻な
問題となっているらしい。政府はいろいろな策をとって自動車の規制をしてる。例えばナンバーの最後の番号が奇数か偶数かで
運転ができる日を定めてるが、住民も賢いので両方のナンバーを持ってその法を切り抜けてる。
なもんでなーんも渋滞の解消にはなっていない。
バスはアテネ中心地シンタグマ広場を通って、国会議事堂、無名戦士の碑、又、アテネ競技場(第1回オリンピック会場)
などをバスから見学。

アテネ競技場

考古学博物館では紀元前3000年、ミケーネ・クレタ文明以前の遺跡の数々からみることができる。
その後エジプト文明の影響を受けたと見られる抽象的な彫像が見られる(半身は獣とか・・・)
時代が進むにつれ彫像は動きがでてくる。またより生きた人間に近いものになってくる。
よくみるとマツゲなでもちゃんとついてるのだ。
また眼球には水晶などの石を使用して、今にも動きそうなのだ。
驚いたことにこれは全て紀元前の作品だ。これらが・・・
だいたいの遺跡が海の中から発見され、再現されたのだから、その苦労も想像を絶するものだ。
博物館の中では撮影は可能だったが、残念ながら、デジカメでの画像がないのだ。

博物館を後にしてフィロポパスの丘に行く。丘の上からはアクロポリスの丘にあるパルテノン神殿を見ることができる。
なんかものすごく感動した・・・

バックがパルテノン神殿

パルテノン神殿を見に行くには、アクロポリスの丘を登り切らなければならない。
照り付ける太陽を見上げながら、歩く。とにかく暑い。博物館の中でも汗をかいていたが、
灼熱の中を歩くのだから、結構大変。とにかく帽子とサングラスは必需品だ。あとミネラルウォーターも。
この日は私たちはまだ水をもっていなかった。

さてさて、アクロポリスの中に入り5分くらい歩くとチケット売場。そこでチケットを切ってもらい、
アクロポリスの遺跡を目にすることができる。
まず、最初に目にするのが、古代音楽堂。世界史の教科書で一度は目にしたことある、音楽堂を目にしただけで、
感動するのだ。階段を登り切ると、古代アクロポリスの門「プロピュライア」に到着する。現在は改修中。ついでに
その改修はいつ終わるか未定:p大理石の階段とドーリア式とイオニア式の柱が立つ古代の門。ここに立つとアテネの街が一望できる。
マーケットのあと、ゼウスの神殿など見学可能。
さらに階段を登り、丘の頂上に立つと、パルテノン神殿が目に飛び込んでくる。
感動なんてもんじゃないです。やはり美しいものは美しいです。ここでガイドさんに説明をうけます。
日本の法隆寺の金堂柱でも使用されている技法「エンタシス」の説明など、目の前にあると、なるほどと思うのだ

パルテノン神殿  パルテノン神殿正面  パルテノン神殿裏側

さらに右手には「エレクティオン神殿」がある。
現在この柱はレプリカであるが、6人の女身柱(カリアティディス)はすばらしいです。
本物はアクロポリス博物館でみることができます。
残念ながら、この画像はありません。

説明後、フリー行動になる。無料のアクロポリス博物館や、展望台に行く。集合時間まで
後わずか。ものすごいツアー客の間を縫って、バスまでダッシュする。大理石のおかげで、なんど、転びそうになったか。

バスに到着し、喉はからから。水〜と思い、リュックの中を探ると、機内食に付いてきた、エビアン。これは神の恵み。たぁちゃんとふたりで分け合う。

見学後、デルフィへ。少し、バスの中でゆっくりする。
デルフィまでの道、添乗員の高橋さんから「オイデゥプスの悲劇」の神話を聞く。
ギリシャ神話は近親相姦が不幸を招くという気がしてならないが・・・
しかし、人間の欲をするどく描くギリシャ神話はかなり奥が深いです。

デルフィに到着後、昼食をとる。
パスタランチとギリシャサラダ(やぎのチーズ、オリーブ、ズッキーニ、トマト)

16時より考古学博物館を見学。
アポロンの神域・アテナの神域で発見された、出土品が展示されている。

アポロンの神域で神託を授かる場所を見学。
私はこういう非科学的な事が大好きなので、すこし、不思議な気分で見学する。
ここで、高橋さんから、決してここにある石は持ち帰らないよう、注意を受ける。
そう、必ず、不幸になるというのだ・・・
おぉ、こわい。

次に音楽堂を見学予定だったが、アポロンの神域の競技場が18:30で閉まるので、見学したい人は
競技場まで行ってくださいといわれ、また、ひたすら上り坂を15分くらい登る。

とにかく夕方だっていうのに太陽はさんさんと照り付け、暑い。汗はどんどん流れる。
でもでも、ここまで来たんだから見なきゃ!。古代ギリシャ人がオリンピックの起源ともなる
マッスル大会をその競技場でやっていたというのだ。
なんでも、そのマッスル大会は女人禁制で男性は素っ裸で自分の身体を見せびらかして
体力勝負してたらしい。

競技場に立つたぁちゃん

アテネの神域を見学する頃にはとっても疲れきってました、私。
夕食は地元ワインをお楽しみください、とある。赤と白が呑み放題(ではないが、同じテーブルに飲む人がいなかったので)

食事はギリシャ料理だが、オリーブオイルの食事はイタリア料理に似ているせいか、
私はぜんぜん平気だった。だけど、だめな人はもう、この頃から、辛かったみたい。

茄子と挽肉の重ね焼きは、ポテトも間に挟まっていて、非常に美味でした。
これが、ギリシャの名物料理「ムサカ」であったと帰国後知りました
部屋に戻るとシャワー浴びて、すぐ寝てしまう。疲れきってました。

HOTEL: AMALIA HOTEL

(参考文献:個人旅行 ギリシャ・エーゲ海 昭文社)


6月13日(日)デルフィ〜メテオラ 朝はゆっくりとお目覚め。 のんびりと朝食のテーブルにつく。あれれ、どうやら私たちが最後のお客様だったらしく 朝食は残り物って感じでした。ちょっと残念。 テーブルから見えるデルフィの街を眺めながらゆっくりとコーヒーなど飲みました。 着替えてからデルフィの街を歩くことにしました。まだ午前中だっていうのに、太陽がきついきつい。 家の壁は白。でも茶色の瓦屋根で、よくあるエーゲ海の写真の街並みとは違うと思う。 のんびりと、おみやげ物を物色しながら歩く。 田舎町のお土産物屋さんだけど、なんかかわいい織物なんてあって、いっぱい買ってしまった。 結婚式2次会のビンゴゲームでつかう怪しい景品もかなりGET。置いてある物は、たいてい刺繍がほどこされた、 クッションカバーやテーブルクロス、遺跡発掘された壷のレプリカ等。割れ物の陶器はこの旅行では移動が多いので諦めておりました。 怪しいものは・・・おや、これはすごいぞ、修正なしの男女の絵葉書。おいおい、見た目には海の中にある島・・・ でもよく見ると・・・以下自粛。 お昼は予定とおり、デルフィの「バッカス」でランチ。この日はテラスでお食事。 レストランは山の中腹に涼しい風が私をとってもいい気持ちにさせてくれた。 日本じゃ、テラスでランチも、排気ガスと湿気でうんざりだけど、ギリシャはそうでもないなぁ 湿気がないのはすごくいいなぁ メニューは ・白ワイン ・ギリシャサラダ ・鶏のハーブ焼き ・チェリー ギリシャのサラダには必ず、淡白な味のやぎのチーズがついてくる。私はこれが妙に気に入ってしまった。 今日は鶏のハーブで味付けしたものでした。ワインは白を注文。 その後、バスにてメテオラの麓街「カラムバカ」まで移動。 今日は移動のみの予定なので、のんびりとバスからの風景を楽しむ。 エーゲ海を見ることはない。山を走ってるから。アメリカの田舎を走ってると言っても違和感ないくらいの街並み。 途中、コウノトリが教会の屋根に巣を作ったという珍しい箇所があった。ひながピーピーいってるのだ。 はっとみると、教会の上に巣があるモニュメントやら、看板がたくさん。 観光化してる、そのところだけ。しかし「教会」と「こうのとり」なんて、なんとも神秘的な組合わせ。 ひたすら道をはしり、奇怪な岩々が見えてきた。あぁぁ〜これが「メテオラ」 添乗員の高橋さんも私もギリシアではこのメテオラが一番すてきだと思いますと言っていた。 この奇怪な形の岩に修道院があるんだからホント不思議。 夕食前にカラムバカの町を歩く。日本の国旗が店先に掲げてある。うーーーん。 お店に入ると、なかなか店から出してくれない。おじいさんとおばあさん二人に囲まれる私たち。 彼らの商魂には頭が下がったが、私たちも無駄なお金は使えない。やっとのことで彼らを振り切り店をでる。 ドラクマに両替してあるのが非常にすくない金額だったから〜 町を歩いているとき、雷がなってた。明日のお天気を心配した。 夕食は福田さんご夫婦と先生のご夫婦と楽しいひとときを過ごした。 HOTEL: HOTEL DIVANI
6月14日(月)メテオラ〜テッサロニキ 朝食後、メテオラの修道院まで行く。山の中腹まではバスを使用。そこから修道院までは 徒歩。メテオラの見学は女性は膝が隠れるスカート、パンツは駄目とあったので、 ロングスカート。しかし、階段登りには非常につらいものでした。 岩には空洞がみられる。これは修行僧が修行するために使用されたものだという。孤独と闘うことが 修行では大事だったらしい。 岩は風化して形が変化するらしい。しかし、すごい風化のしかた。その上に修道院があるのは 奇跡というか・・・ 現在でも修道院にものを運ぶ時は手動式のケーブルを使用するらしい。 階段を上ること15分、汗をだらだらかいて修道院へ。 初めて目にする、ギリシア正教の教会。カトリック教会に似た派手さもある。壁画の保存状態は かなりよい。香が焚かれ、身が清められる気がした。 修道院の形をしたアロマランプも販売していた。修道院の香があまりにも印象的であったので 思わず購入しようかと思ったが、この先まだまだ移動の多い旅行なのであきらめることにした。 修道院のテラスからの眺めは最高だった。時々聞こえてくる賛美歌が心をいやしてくれる気がした。 見学終了後、メテオラの街に行き食事。 本日はテラスランチ。前菜の焼きトマトの詰め物、主菜のミートボールは私の味覚にぴったり。 あぁあぁおいしい。 食後、今度は港町テッサロニキまで・・・ ギリシアを代表する商業都市。 この日は前日にメテオラのホテルで洗濯をした。室内なんて乾燥してるよ〜なんて思ってたのが甘かった。 昨晩のメテオラは大雨。そう、乾くはずもない。たぁちゃんのパンツと私のブラ・パンツをビニール袋に 入れて、持ち歩く羽目になった。 テッサロニキまでの車中、陽の当たる場所でビニール袋の口を開けて乾かすことになる・・・ テッサロニキにに到着。アレキサンダー大王の銅像を見て、ホテルへ。 今回のホテルはなんか違うぞぉ。 おぉぉぉぉ5星。格が全然違う。お部屋だって、違う。ティッシュがついてる。 本日はホテルにてディナー。やはり、こういうときにあの、ドレスを・・・ と、日本で買った、スリップドレスに上着を羽織って出かけるが。。。なんか、私太った?? なんか購入したときより、たくましい腕が見える。 この洋服は帰国後の2次会で着ようと思ったのに、変。あぁ!すごい日焼けだ。 この時点で、この洋服はもう着ないって思いました・・・(涙) 夕食は早め。ワインももちろんオーダーして。 しかし、前菜のサーモンはいかんよ。なんか、疲れているせいか、私の胃が受け付けない。 日本ではあんなに、starbacksのクリームチーズとスモークサーモンのサンドウィッチが好きだったのに。 メインは子牛。でも、お味はまぁまぁ。付け合わせのポテトとブロッコリーがフランス料理してて、 非常に美味でした。 デザートもティラミス。あれ、フレンチディナーなのに、なぜ、ティラミス?(笑) パンはおいしいし。 食後、まだ、陽が高かったので、(20時はすぎてるけど・・・)アリストテレス広場までお散歩する事にした。 ホテルのそばは海。横浜の元町に似てるかな。夜になると仕事が終わって、人が集まってくる。 カフェでみんな夕涼みをしてるみたい。 みんな夕食は食べないのかしらぁ。 ギリシャの女の子は細い。顔も小さいし、すごい美人。でもおばさんになるとホント 哀れ。ダイエットはやめてしまったのかしらっていうぐらい太ってる。若い子は、なにを食べてるのかしら って不思議に思う。 お散歩中、日本人に会うことはなかった。日本人が珍しいのかちらちらと見られた。 ホテルに戻ると、なんだか疲れてしまって、ベッドに潜った。気がついたら、電気もつけっぱなしで 寝てた。優雅なホテルなのに、優雅さをあまり味わえなかったのが、心残り・・・
6月15日(火)テッサロニキ〜クレタ島 ホテルの朝食はすばらしかった。たくさんの種類のパン。チーズ、卵料理。 フルーツにデザートに充実度が違う。コーヒーだっておいしく感じる。 食後、白の塔まで徒歩で行く。昨晩散歩した時と違い、日がこれから昇るので あついのなんのって。集合時間まであまりないので慌てて、塔の一番上まで。 眺めはよかったな。 そういえば、テッサロニキから見える海はエーゲ海なんだと、改めて思った。 横浜元町と似てると思ったのは港の海らしくあまりきれいでなかったから。